きちりんさんの「ゆるく考えよう」を読んで

きちりんさん([twitter:@InsideCHIKIRIN])の「amazon:ゆるく考えよう」を読んで、すごく共感できる部分があったので、少し紹介をば。

「はじめに」だけでも読む価値アリ!

「はじめに」に以下の文章があります。

今まではすべての人がよりどころにできる「幸せの型」があったかもしれません。


そして、次のように続きます。

滅私奉公で働く夫と家事と子育てに専念する専業主婦、もしくは家族一丸となって商売に邁進する自営業家族、といったスタイルが、まっとうな生き方の例として確立されていました。高度経済成長の時代は、周りの人と同じことを「頑張って」やっていれば経済的にも報われてきたのです。

しかし今の時代には、頑張れば報われるとは言いがたいものです。


うーん、確かに。多くの人がいい大学に入るために・いい企業に入るために「必死に頑張れ」と親から言われ、社会から無言のプレッシャーをかけられ、その通りにやってはいます。
でも実際にその頑張りが「栄光への道」へは繋がってはいない、と社会人になって初めて気づく人も残念ながら多いのではないでしょうか。。
きちりんさんはこの難しい問題に、すごくわかりやすい答え↓を書かれています。

それよりも、自分にとって「好き」「楽しい」「ラク」を貫くほうが何事もうまくいくんじゃないか、ときちりんは考えています。


単純なんですが、すごく、本当に大事なことだと思います。

がんばらない、という選択肢。

最近(?)「個人の価値観は色々なんやから、それを尊重しようよ。*1」という動きがあります。


だから、僕は「(主に仕事を)がんばらない」という価値観があってもいいんじゃないかと思っています。そのかわりに趣味・家庭・ボランティアなど自分が「好き」「楽しい」「ラク」と思えることを「がんばる」。
もちろん仕事が「好き」な人は、仕事をするべき。でもそうじゃない人もたくさんいると思うんです。なのでネトゲでも全然いいと思うんです。

「好き」「楽しい」「ラク」を選びたいのに選べない

では誰も好きで「楽しくない」ことなんてやりたくないのに、なぜやってしまうのか。何が自分を縛っているのか。きちりんさんの本に下記のような文章があります。

自分を縛っているもの、それは社会規範であり世間の目です。


例えば、ニートという言葉。ニートはダメって誰が決めたんでしょうか。

ニートのもともとの意味は、「仕事も勉強も職業訓練もしていない状態」ということですが、その前提には「仕事と勉強と訓練にしか価値がない」という考えがあります。


そう、ニートが社会問題として取り上げられるという事実から、仕事をがんばる人・勉強をがんばる人のみが社会から認められていることが垣間見えますね。。こういった価値観の押し付けが社会には、山ほどあるってことなんだと思います。


今の日本って従来の生き方しか認められない。僕はその生き方しか知らなかったし、親の背中も、先生の背中も、みんなそうだった。でも今となっては従来の生き方では幸せになれる人はごく一部。


この矛盾こそ、日本の閉塞感になっている気がしています。


お金とかもういいやろ。楽しくないしw 
そう思うこの頃です。

*1:ダイバーシティ(多様性)と呼ばれているようです。